永華楼の歴史

江戸時代の末頃、まだ開港する前の横浜へ、祖父の梁 殿威が来日。
商売をするために、日本語もまるで話せない中、身振り手振りで市場調査をおこなう。
父親である梁 応雄さんはハイヤーを主な事業とした日本の運輸会社に勤務。
普通の日本人と全く変わることなく新山下町に住んでいたが、戦時体制下、中国人は一ヶ所へまとめるという軍部の方針から、中華街へと強制移住させられる。
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1945年5月29日横浜大空襲の日、額と動員の作業で横浜を離れていた。 1947年現在の場所に、千副という店を始める。中華料理のかたわら夏はアイスキャンディ、冬は和菓子を売るという店だった。 1950年父親の梁 応雄さんが死去。母親の秀さんが店を切り盛りすることになった |
1950年代中華街でも台湾の国民党政府を推す動きと大陸を制覇した共産党政府を推す動きとぶつかり合い、中華学校の分裂、華僑総会の分裂を始め両派に分裂した人々の間で、さまざまなトラブルがおこるようになる。 1961年再び中華料理の店として『永華楼』を開業 1987年社長の英さんが83歳で死去。それまで会社員としてアメリカの船舶会社、エバレットの横浜支社へ勤めに出ていた有榕さんが退職、社長として経営を引き継ぐ。 |
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